型染め 糊置き
型染め
藍染
藍染 日傘
暖簾
きもの
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岩倉洋子

岩倉洋子に興味を持っていただきありがとうございます。
私は半世紀以上に亘り制作を続けています。
簡単ではありますが、自己紹介をします。

岩倉洋子

学生時代

第二次世界大戦が終わって10年経った昭和30年、そろそろ日本の国民は食べることのみの暮らしから、美にも意識を持つようになりました。

そんな時期に、私は東京の女子美術大学で染色を学びました。
その頃、東京の大学で染色科がある大学は、女子美術大学と多摩美術大学だけでした。
当時、女子美術大学の工芸科は一学年20人で、後に人間国宝になられた芹沢銈介先生を始め、柳悦孝先生(女子美大 第9代学長)、柚木沙弥郎先生(女子美大 第11代学長)、四本貴資先生(造形大 教授)など感性豊かな諸先生から丁寧に教えて頂き、今思えば大変贅沢な授業でした。

授業の一環で、駒場の民芸館で琉球紅型や江戸時代の藍唐草や筒描 (つつがき) の布など、草木や顔料など天然染料で染めた美しい布を手にとって見ることが出来ました。
又、型染のもとになる型紙というものも初めて目にしました。4年間の大学生活は手仕事の面白さの基礎を学んだと言えます。

卒業後の研究

美大は出たものの卒業しても就職先は殆どなきに等しい厳しい時代でした。優秀な人でも教員免許証を持ち、都道府県の試験に合格したわずかな人が先生になれる時代です。
未熟者の私は、もっともっと染色を学びたいと願い、運良く北鎌倉在住の染色研究家、浦野理一先生に師事することが叶いました。
ここでは、来る日も来る日も日本の伝統的な和服(きものと帯)のためのデザインと型紙作りでした。
こちらには江戸時代を中心とした、きもののコレクションも沢山あって、小袖などを手に取って見ることが出来、大変勉強になりました。
藍染の手法は静岡の増田邦太郎先生のもとに何年も通い教わりました。

独立後の仕事

1967年に北鎌倉から湘南の地、藤沢鵠沼に移り住み、染色工房を開設しました。
この頃、年配の御婦人たちは一般に和服を着る機会が多かったので、作品はきものと帯に限って制作しました。
浦野染色研究所でつちかった型染の技術には自信があったので、迷うことなく始められたのです。
何年か続けているうちにファンも出来、昭和末期まで仕事は楽しく続けられました。
東京の跡見学園短大の生活芸術科でも永い間、染色を教えました。

今目指していること

日常に和服を着なくなって、もう何年立つでしょう。
このごろは街を歩いていて着物姿の人にはめったに出会いません。
京都や鎌倉などで多少見かける位ですね。
そこで、日本の伝統的な染色の技術が失われないように現代の生活に使える布を染め続けていきたいと思っています。

和室のない住まいが主流になり、鉄筋とガラスが多い建築、マンションなどでも、美しい染めのタペストリーなら似合いましょう。

又、最近の地球異常変動で暑い夏が続き日傘が必要です。
大量生産じゃない手仕事の美しい藍の絞りに型染めをあしらった日傘は素敵です。

広々とした部屋の壁に、風合いのある布に染めた軽やかな染布も似合いましょう。

小さいものならコースターやテーブルセンターなども良いですね。

今後も現代の生活に使える布を染め続けていきたいと考えています。

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